広島の山間部にヒバゴンの痕跡を追う

神話の里に巻き起こった謎の獣人目撃騒動

比婆山連峰は、広島県と島根県の県境、中国山地のほぼ中央に位置する。日本神話における国生みの神としてイザナギとともに日本国土を形づくったとされるイザナミが葬られた地と伝えられている。このような聖域とも呼べる地で、獣人騒動が巻き起こった。

ヒバゴンがはじめて世間を騒がせたのは、1970(昭和45)年7月20日午後8時頃まで遡る。広島県比婆郡西城町(平成17年に周辺市町村との合併で、現在は庄原市西城町)油木衣木ダム沿いを通る国道318号の道端で、近くの住民がゴリラに似た謎の生物と遭遇したという通報が最初だった。

高度経済時代が頂点に達した当時、国内では東京オリンピックや大阪万国博覧会という国際ビッグイベントが相次いで開催。全国各地がインフラ整備に伴う開発ラッシュとなっていた。西城町でも、森林レクリエーション施設「ひろしま県民の森」の造成工事が進められていた最中の出来事だった。

ヒバゴンが発見された場所はいずれも木々が生い茂る場所だ(写真左上下/油木地区のダム付近)。宿屋の初代主人が目撃したヒバゴンの油彩は今でも残されている(写真右上/熊野湯旅館蔵)。その主人がヒバゴンを目撃したという源泉地(写真右下)。

第一目撃からわずか10日あまりの間に、目撃情報は3件にものぼった。この騒動は新聞でも取り上げられることとなり、中国新聞社の記事で初めてヒバゴンの名が用いられたことからこれが定着するようになる。西城町には、連日のようにマスコミや報道関係者が訪れ、新聞・テレビを賑わせることになった。時期を同じくして、世界各地ではネス湖のネッシーやヒマラヤ山脈のビッグフットなど、未確認生物の話題が巷を賑わせていた。こうしたブームに乗って、瞬く間に西城町の獣人目撃騒動は全国に知れ渡ることとなり、目撃情報も続々と寄せられるようになっていった。連日の取材攻勢の対応に追われた目撃者からは、生活にも支障を来しかねないとの悲鳴があがったそうだ。そこで、そうした取材対応を一手に引き受ける窓口、類人猿係を役場内に設け、目撃者には迷惑料という名目で、第一発見からわずか3カ月というスピードで5000円を支給することを決めた。その後、目撃情報は30数件を数え、場所も西城町から離れた近隣の市町村にまで及んだ。当時の役場の初任給は1万5000円ほど。それと比べてみれば、かなりの破格な料金といえるだろう。それだけに、金銭目当ての目撃情報もあったのではないかと一部で噂されたこともあったほどだという。



1974(昭和49)年8月19日付の中国新聞に、ヒバゴンの撮影に成功したとの記事が載り、断定はしていないものの年老いた大猿ではないか、との見解を述べている。そして、この記事以降、風潮はヒバゴン大猿説へと傾斜していき、目撃情報も激減。報道などで取り上げられることも少なくなっていった。翌1975(昭和50)年、西城町はヒバゴン騒動終息宣言を発し、類人猿係を廃止した。ヒバゴン騒動から約50年の歳月が流れた今、目撃された場所と隣接する『ひろしま県民の森』には、県内外の登山客、スキー客、キャンパーたちが四季を通じて訪れる。しかし、彼らの口からヒバゴンらしき謎の生物と遭遇したという情報は皆無という。

日本神話における伝承の地に、突如降って沸いたヒバゴン騒動。ヒバゴンが比婆山に存在するのか、そして正体はいったい何なのか、その真相を探求することは、未知へのロマンをかき立てさせてくれる。いつの日か、また我々の目の前に現れてくれることを信じ、比婆連峰をあとにしたのだった。

 

※本記事は、過去に時空旅人(三栄書房)にて掲載し、それを再編集したものです。